カナディアン ロッキー マウンテンズ トレッキング リポート

September16,2002 to September22,2002

報告 大江
December11,2002

はじめに

何故カナダなのか。特に理由を決めてかかったわけではありませんが、今整理してみると3つあげられます。1つ目は、生まれて初めての海外旅行を単独で行きたかったので、先ず「治安」の良いところでなければなりませんでした。もう一つは、曲がりなりにも、少しぐらい英語の勉強をしているからには、英語圏でありたい。最後に、以前「岳人」で読んだ、Mt.アッシニボインの記事とクライマーのxx虎の穴xxヤムナスカ登山学校の体験報告が、私にとって強い印象となって残っていました。

行動を起こすきっかけとなったのは、かみさんの一言でした。

「あこがれているだけじゃ何も起きないでしょ」「行動を起こさなきゃ」(実際はかみさんの顔色を窺っていたのですが)

東京勤務でコツコツ貯めた「基金」?は幾らか持ち合わせていましたので、事実、行動を起こすだけで、ことを現実化することは難しいことではありませんでした。

観光ツアーに参加する気は毛頭ありませんでしたので、さっそくインターネットで検索をはじめました。

検索項目は「YAMNUSKA(ヤム)」からはいって行きました。

そこで、出会ったのが日本語ページの「アドベンチャースタジオ(AS)」黒沢健二氏(ヤムの日本人2人目の卒業生で、丹沢山麓をベースに、カナダをはじめ国内各地で山岳ガイド業を営む)のホームページでした。

しかし、ASの企画もヤムの企画も生憎、金額面、日程で折り合いが付かず、半ば途方に暮れかけていたところ、黒沢氏がスーパーウルトラCのスケジュールをメールで送ってきてくれました。そして、それを叶えてくれたのが、現地キャンモアでガイド業を営み、黒沢氏の恩人でもある、ロッキービューアドベンチャー(RVA)の関氏(実際ガイドについてくれたのは、札幌出身の五島氏)でした。

SET 16,2002 バンフへ

雨の降る成田第2ターミナル駅をNEXから降りると、ここから先は見るもの聞くものすべて、初めて経験することばかりでした。

チェックインカウンターを見れば、みんな日本の航空会社の看板が掲げられていて、エアカナダ(AC)の看板が見あたりません。しかたがないので案内で訪ねました。

ACのチェックインカウンターは一番左から2番目で、予定より早い16時過ぎから受付は始まっていました。

チェックインも出国審査も早め早めに済ませ、軽い食事をとった後、出発ゲートロビーで待つことにしました。

その間、免税店を少し覗いてみましたが、特に私の興味をそそるようなものは無く、それどころか、有名ブランドの強烈なパフュームの臭いに気分が悪くなりました。田舎の香水の方がまだまし?。

出発の際、滑走路が混み合っていたため、離陸は約40分ほど遅れましたが、バンクーバーにはほぼ予定時刻(搭乗時間約7時間30分)に到着しました。

機内では、離陸して間もなく夕食が出され、少し寝たかと思ったら、何時間もしないうち、朝食の知らせで起こされ、ふと時計を見たら、なんとまだ日本は夜中の1時30分。

この日、着陸間際の機内からも航空からも曇り空のため、一切山らしき物は見えず、「広いせいなんだろう」と思っていました。

バンクーバー国際空港に着くと黒沢氏の案内に従い、入国審査の列に並びます。

前は中国人らしき親子。これが実にうるさい。高校生ぐらい男の子が、父親と思しき中年男性にひっきりなしに話しかけています。東京で勤務していたときも、電車の中で大きな声で携帯電話をしているのは、いつも決まって中国語を話す人たちでした。これだから私自身、中国人に対して、良い印象を持っていないのです。

口説きはさておき、入国カードとパスポートを持って、入国審査。私の番が来ました。ブロンドヘアーのきれいな女性でした。朝、家を出て以来、ろくに人と会話をしていなかったので、久しぶりに人と話した気分でした。旅行の目的を聞かれ、「キャンモアとバンフで山登りをしてくるつもりです」と答えると、「楽しんできてください」と。

しかしここの入国審査は、黒沢氏の案内の通り、すべて英語でしたが、とても英語が話せるようには見えない、農協の団体さんのような方(失礼)も何人かいましたが、何とかなってるようでした。

次は、荷物を回収してカルガリーに向けて、国内便へ乗り換えです。広いターミナルビルの中を航空職員に尋ねたり、ウロウロしながら、何とかCゲートにたどり着くと、ここの手荷物チェックの方が、成田を出るときよりよほど慎重でした。

最後尾のシートに座ると、隣は大阪からの若いカップル。ハネムーンとのことでした。

予定通り15時過ぎにカルガリーに到着すると、さてここから先は足がありません。

空港ビル内で2軒のカウンターを訪ねましたが、いずれもタクシー会社でキャンモアまでC$120~C$130と、高い。3件目がようやくガイドブックで紹介されていた、ブリュスター交通で、「キャンモア行きのバスはもう無いが、バンフ行きのバスでキャンモアに降ろしてあげます」と言ってくれるので、さっそく予約を作ってもらい、ついでに帰りのバスも予約させてもらいました。こちらは、片道C$40。

16時30分、バスは10人ほどの客を乗せて、カルガリー空港を後にし、どこまでも果てしない大地の中、高速1号線を北西へと駆け上がっていきます。

カルガリー郊外は、どんどん住宅建設が進んでいるようでした。日本のような背の高いマンションは見あたりませんが、まだ古くはない2階建ての一戸建て住宅がそのほとんどです。

それらの住宅街は、カルガリー郊外まで広い牧場と交互に現れ、牧場では馬や牛たちがのんびり草を食んでいるところが、カナダらしいところでしょう。

30分も走ったでしょうか。やがて、今まで見たこともない姿の山々が見えてきました。どれもが針葉樹の上にニョッキリ岩が露出しています。ティンバーラインが1500mから1700m位にあるようです。

約1時間30分ほどで、ここから先が”Canmore”であることを示す看板を見つけました。まるで西部劇のシーンのようです。

間もなく町が現れ、バスは高速から外れ、キャンモアに降ろされました。

しかし降ろされたところは、私が泊まるホテルとは違うホテルの前でした。「ドレークインはどこか」と、ドライバーに尋ねると、「線路とレールウェイアベニューの向こう側だ」と言われ、「だったらそこに降ろしてよ」と思いましたが、風に舞うホコリの中を5分ほど歩くと、二晩お世話になる予定のドレークインに、程なくたどり着くことが出来ました。

時間は既にPM6時を回っていましたが、まだ日が高いのでチェックインを済ませRVAの関氏に到着の旨電話を入れた後、キャンモアの町を散策したり、翌日の行動食を買ったりしてきました。

商店街では、観光客がディナー前のショッピングを楽しんでいるようでした。

ドレークインの向かいのスーパーはとても大きくて、商品も沢山ありましたが、サーモン以外の魚を見つけることは出来ませんでした。

ここで、水とパン、ソーセージ、それと野菜の変わりに野菜をトマトベースで煮込んだペースト(これは旨かった、家でも作れそう)を買い込み、明日に備えました。

夕食は、宿のレストランでビールとシーザーサラダそれにステーキを食べましたが、とにかく1品、1品の量が多い。でも残さず全部いただきました。

それから、ウェイターもウェイトレスも若いのですが、フレンドリーで気持ちがいい。特に日本のファミレスのようなマニュアル通りでないのがいい。

店内は、日曜の夜と言うこともあってか、町の人たちで賑やかでした。

PM11時頃、前日の分の疲れもしょって、ベッドに入りました。マットレスが2段のベッドで寝るのは初めて。「落ちたらさぞかし痛かろう」などと思いながらも、泥のように眠ったようでした。

SEP 17,2002 ヤムナスカ・リッジを歩く”高度感”

時差ボケもなく、朝7時に目を覚ましました。

気になる天気は前日より雲は少なく、気温も20℃近くありそうで、期待が膨らみます。

ドレークインのレストランでの朝食は、日本風に言うと「日替わり朝食セット」と行ったところでしょう。ハムエッグのサンドイッチとフライドポテト。カフィはお変わり自由。コーヒーと言うと”コー”だけ聞かれて、コークと間違われることがあります。注意しましょう。(^_^;)

この日はヤムナスカ・リッジを歩きます。ピークは2,240m。およそ400mの垂直の壁が1,500mほどの幅を持ち、イーグルが翼を広げたようにそびえ立つ岩山です。

準備を整え、黒沢氏からいただいた地形図を見ながら時間を待ちます。9時にガイドの五島氏と会う予定になっていましたが、9時を過ぎても五島氏は来ません。9時20分頃、五島氏から部屋に電話が入り「ホテルの駐車場で待っている」と言います。そう、私は五島氏が部屋を訪ねてくるものだと思いこみ、五島氏は私が駐車場に出てくるものだと思いこみ、お互い微妙にずれていたのでした。

とにかく無事合流し荷物を積み込み、関氏から予約を作っていただいたホテル代と、ガイド料を前渡しし、フロントに部屋のキーを預けに行こうとしたところ、五島氏が「キーはチェックアウトするときまで返さない方がいい、チェックアウトすると思われる」と言ってくれるのでそのまま持っていることにしました。

ヤムナスカ・リッジに向かう車内で、お互い自己紹介などの会話の間に、五島氏が適時にこの地域の歴史や、地名の由来、動物や植物のガイドをしてくれます。それがまた、実によく勉強されていて、感心しました。彼はまさにプロでした。私が越後の山をガイドすることはないにしても、少し見習う必要を感じました。

ヤムナスカ・リッジの駐車場へは、キャンモアから30分で着きました。しかしいくら平日とはいえ私達2人以外、車も人影も見あたりません。生憎?この目の前にある、どでかい山一つ貸し切り状態です。

この日は正面の巨大な壁を左のリッジから巻いて山頂に至る予定です。

駐車場にある洋式の落としトイレは、意外ときれいで、飯豊の稜線にあるトイレのように、目がしみて痛くなるようなことはありません。

10時10分、日の差し込むアスペンポプラの林の中、駐車場を後にします。

と、突然五島氏が「オー、オー、オー」と、大声で、叫び始めるではありませんか。「これはエライ人と一緒になったモンだ、逃げようか」と、一瞬思いましたが、そんな私の不安を察して五島氏は、この辺はグリズリーやクーガーの生息地で、それらとお互い鉢合わせにならないよう、合図を送る事を説明してくれました。ちなみに、鈴は厳禁です。小熊が興味を持って近寄ってくるそうです。もちろんその後ろに親熊が監視しているわけですから。

所々に紅葉は始まっていて、ヤナギランやナナカマドは既に真っ赤になっていました。

また紅葉だけでなく、赤い実もよく見かけられます。代表的なもので、バンチベリー(ゴゼンタチバナ)やプリンクルローズ(ハマナス)、カナディアンバッファローベリーなどがあります。

ベリーと名が付いていても、バラ科のストロベリーの仲間という意味ではなく、いわゆる”実の成る植物”と考えた方がベターなようです。(ブルーベリーもそうですね)

いずれも人が食べることは可能ですが、そこは野生動物が生息するところ、日本のように袋に入れて持って帰って、焼酎漬けにしようなどという人は皆無なようです。まあ文化の違いもあるでしょう。

それと、高山植物の盗掘も皆無と聞きました。庭に花を植えたり、自家製ワインを作ったりすることは、日本人以上なのに「文化」と言ってしまえばそれまでですが、これは驚きです。

それにしても、グリズリーがあの大きな体で、豆粒のような実を食べている姿を想像すると、滑稽ですらあります。

それと比較すると、日本のツキノワグマは、山毛欅や栗の実が豊富に?ある土地で暮らせて幸いです。

急登にさしかかると、足元はごつごつしたガレ場になり、植生も変わります。

アスペンポプラはなくなり、アオモリトドマツのような針葉樹になります。動物もこれらを餌にするリス類に変わります。歩いていると、これらの愛らしい姿をしょっちゅう目にすることが出来ます。

森林限界を抜け、真下から見上げるヤムナスカリッジは壮大で威圧的です。岩ヤさんなら、誰でも登覇意欲をかき立てられること請け合いです。週末ともなれば、あっちこっちのルートにクライマーがしがみついている姿が見られることでしょう。

岩質は、強いて国内で例えれば、本尊岩とか層雲峡のような感じですが、一部の取りつき以外は、垂直プラスオーバーハングになっています。

ルートは概ねクラックに沿っていますが、細かなもろいリスも多いので、ヘルメットは必需品です。

いわゆる”残置”のたぐいは、山頂付近のリッジに1カ所見かけましたが、壁面には一切見受けられませんでした。

後ろを振り向けば、ボウ川を挟んで広い大地に森林が広がっています。かつての日本映画「天と地と」の合戦シーンはここで撮影されたそうです。

所々にある湖や沼は国内のそれらとは異なり、いわゆる”レイク”なのですが、いずれも水がとても澄んでいて、ビーバーやトラウトがいるそうです。

遊魚券は阿賀野川水系と比較した場合、1日券は高く、年会費は安いようでした。

12時頃、1,980m付近の山頂に近い鞍部で、空は雨がパラつき始め、やがてミゾレに変わってきました。この鞍部から先は岩です。ここから山頂まではミックスで、会山行ならザイルを出しそうなところもありましたが、足元の浮き石を払いながら慎重に高度を上げ、12:50山頂に辿り着くことが出来ました。

山頂ではガスが湧いてきて下が見えなくなってきたので、ケルンをなでて記念写真を1枚撮り、すぐ下山体制に移りました。

下山は、来たときと同じ左巻きのルートを下りました。裏側は下が見えます。滑ったら最後、つかまる木も藪も全くありません。登り以上に慎重に下ります。

下りが一段落して下界が見えたところで、ランチにしました。

この日のランチは、前日スーパーで買った、肉まんのカナダバージョン(パンの中に肉まんの具のようなものが入っている)とソーセージです。

カナダでは、指定された場所以外で、屋外で火は使えないと聞いていたので、ガスヘッドも持っていきませんでした。(キャンモアの山道具店ではプリムスのガスが売っていました)

ランチの後は、壁面の下をトラバースして右に回り込み、アスペンポプラの林の中を、2人でまた、大声を張り上げながら下りました。

15:40駐車場に到着。

宿に向かう車中、周りの高い山では雪が張り付いていました。

下山が早かったので、キャンモアとバンフの町を案内してもらい、山道具の店も案内してもらいました。どちらの店も規模的にはICI新潟店と同じ位で、商品数はICIの方が豊富でしょう。

この日、バンフでようやくウイスキーを手に入れることが出来ました。ここで気が付いたのは、リカーショップにはアルコール商品以外、つまみのたぐいは一切無いと言うこと。

日本のコンビニや雑貨店のように酒も肴もと言うわけには行きませんでした。

さらにホテルやレストランでのオーダーを除き、リカーショップ以外でアルコールは売っていないそうです。

この日のディナーはビール2杯で止め、お部屋でリラックスしたことは言うまでもありません。

SEP18,2002 フェアビューマウンテンから”絶景”

7時過ぎ目が覚め、カーテンを開けると雲は残っていますが、前日より期待できそうでした。

南側の窓からはスリーシスターズ山がよく眺めることが出来ます。

短パンとTシャツのまま、外側の廊下に出てみると、バンフ方面もよく見渡せます。それにしても前日とうってかわって寒い。車や屋根が霜で真っ白です。

そそくさと、後ろを振り返って部屋に戻ろうとしたとき、なんとドアが開かないではありませんか。そう、自動ロックがかかってしまったのでした。

現実を理解したとたん、ブルブルふるえが来ました。

とにかく部屋へ戻らないと凍死してしまいます。部屋を開けてもらおうと、フロントへ急ぎましたが、まだ誰も出てきていません。

次にレストランへ駆け込んだら、昨夜の若いウェイトレスが朝食の準備をしていました。

惨めな格好で事情を話し、鍵を開けてもらい、部屋へ戻ることが出来ましたが、何とも情けない”事件”でした。(短パン着ていて良かった(^_^;))

9時に五島氏とドレークインの駐車場で会い、チェックアウトも済ませ、一路レイクルイーズへ。

途中バンフで東京からワークホリディで来ている、大森さんという若い女性をピックアップし、この日は3人でフェアビュウ山2,744mへトレッキングです。10時30分レイクルイーズの駐車場に着くと、殆ど空きがないほど車が一杯です。服装も様々です。

歩き始めてすぐ、目の前にレイクルイーズが、飛び込んできました。まさかレイクルイーズの前を通るなどとは思ってもいなかったので、その絶景を初めて見る人は誰しもが感嘆することでしょう。

そのコバルトブルーの湖の向こうにはヴィクトリア氷河を見ることが出来ます。

そして湖畔にはシャトーレイクルイーズがリゾート地のホテルらしく特等席に我が物顔で居座っています。

それにしてもこの湖畔には驚きました。周りをぐるり見回すこと、その殆どが日本人観光客。景色など眺めているとすかさず「すみませ~ん。シャッター押していただけますか?」と、声を掛けられます。「それが定番なら我々も」と、大森さんと2ショット。

この湖畔が既に標高1,700mですから、これから約1,000mの登りになります。ハイキングトレイルに入るとすっかり人影は潜み、2~3人グループのカナダ人らしいハイカーに数組会う程度でした。

2,300m付近の鞍部サドルバックまではなだらかなハイキングコースになっていて、森林浴を楽しみながら歩けるようになっています。

そこで2,000m付近までの、もみの木のような常緑針葉樹林帯を歩いていて気が付いたのですが、どの樹も黒いススのような毛の房のようなものを垂らしていて、まるで魔女の森のよう。

さらに、樹皮の至る所から、傷口から出る膿のように樹脂が滲み出ていて、痛々しいようでした。

ガイドの五島氏に尋ねても「この辺だけがなっていて余所では見られない」「ススのようなものは、樹脂が変形したもので火を付けると一瞬に燃える」とのことで、詳しい原因については、知らないと言うことでした。

私は、幼木と古木が新陳代謝を迎えようとしているのかもしれないと思いましたが、事実はどうでしょう?。

このサドルバック付近は、見通しの良い唐松の原生林で、丁度黄葉の真っ盛りを迎えていました。

そして、辺りからは”ピカチュー”の元祖、”ピカ”ことナキウサギの鳴き声があっちこっちから聞こえてきます。

また、ここからは南方向に、マウントテンプル3,543mが手に取るように眺めることが出来ます。

「次回もし、アッシニボインが叶わないなら、ぜひマウントテンプルは登ってみたい」と、強く思いました。

サドルバックから上は急登のガレ場です。

山慣れしていない大森さんの足が止まってしまいました。

五島氏と私と励ましながら、それでも13時45分にフェアビュウ山のピークに到着しました。

Fairviewと呼ぶだけあって、眺めは最高。寒さは最低。レイクルイーズが遙か下方に神秘的に横たわっていました。マウントテンプルの遙か向こうには、テンピークス連峰もうかがえます。

山頂では、記念写真だけ撮ってすぐに下ることにしました。

お楽しみランチはサドルバックまでお預けです。

下山後、シャトーレイクルイーズの庭でのcoffee breakは格別でした。

その夜、大森さんとその友人の早苗さん、更に札幌からの夫婦1組でバンフの野外公園で、バーベキューをするので「どうか?」と誘っていただいたので、どうせホテルに行っても誰か待っているわけでもないし、二つ返事でご一緒させてもらうことにしました。

五島氏からは「そこの公園は、度々エルクの群れが出てきます」と、聞かされて楽しみにしていましたが、この日はとうとうその姿を見せることはありませんでした。

c$40で飲み放題、食べ放題、もう腹がパンク寸前でした。もちろん野外でアルコールは御法度。ドリンクはジュースやお茶です。

ホテルに入ると、シャワーの後、もう何も食べられません。ウイスキーだけ飲んでベッドに入りました。

事の成り行きが反対になりますが、バーベキューの後、PM10時過ぎにバンフでの宿”High Country INN”にチェックインしようと、五島氏とカウンターで受付をしているときのこと。

支払いはRVAの関氏のクレジットカードで支払うのは問題ないのですが、部屋を使用する私のカードも提示を求められました。つまり、部屋に損害が生じたときの保証的意味合いと言うことでした。

更にそのカードはVISA,MASTER,AMEXに限ります。

他にバンフの町中では所々JCBも使えます。これは、今後の教訓になりました。

SEP 19,2002 ボウ湖からボウヒュッテへ”カナダスタイルの小屋を覗く”

トレッキング3日目の朝、昨夜遅かったこともあり、目が覚めたのは8時近い時間でした。

身支度だけ整え、9時の待ち合わせ時間にロビーで待ちます。

この日は、静岡から来ている、萩野さんという、山バリバリのおばあちゃんが便乗してくると聞いていました。

正直なところ「どうなのかなぁ~」と、思っていましたが、結果が先になってしまいますが、なかなかどうして、前日の女性とは比較にならない健脚の方でした。

3人合流の後、バンフのスーパーで朝食とランチを仕入れ、一路ボウ湖へ。

高速1号線を北西ジャスパー方向へ向かい、途中から州道93号線へ。途中でHector Lake見ようと、車を止めたところ、凄まじい突風に見舞われ、砂どころではなく、小石が吹き飛んできます。一時は、車のガラスが割れるのではないかと思ったほどでした。

この風は、ボウ湖のハイキングトレイル取りつきでもさほど状況は変わりませんでした。

このボウ湖もやはり、氷河湖で、湖水は鮮やかなコバルトブルーです。何とも神秘的な色をしていますが、ちゃんとトラウトなどの生物が生息しているという話でした。

コースは、州道から外れてすぐのボウロッヂの裏から、ボウ湖の波打ち際を、裏側の河原まで約30分歩きます。

この湖畔もバッファローベリーがよく見かけられ、当然それらを餌とする大熊の生息地で、再び大声トレッキングとなりました。

河原が終わるといきなり日本的な渓谷になり、そこを沢沿いにトラバースしていきます。

氷河が削った大きな山1つスッポリ収まりそうな、釜底のようなガレ場を直前に見ながら、左の沢へ折れます。

ここのトレイルでは、キノコをよく見かけました。つまんで味見をしてみましたが、日本のキノコより香りがありません。舌先の痺れや苦み、辛みが無いので、おそらく食べられるのでしょうが、カナダ産松茸よろしく、味の方は今ひとつと言ったところでしょうか。

歩き始めて2時間位して、森林限界にさしかかった辺りで、とうとう空が泣き出してきました。

3人とも雨具を着込み、休まずボウヒュッテを目指すことにしました。

この森林限界が切れた辺りから、再び渓谷は大きな釜底のように削られた、氷河の跡を沢沿いに登ります。

この釜底のガレ場は足跡が残らないので、うっかりするとトレイルを見落としてしまいます。従っていたる所にケルンが積んでありました。

私達も日本的で芸術的?なケルンをいくつか積んできました。私達の積んだケルンを見たカナダのトレッカーはきっと「ワンダフル」と「ミラクル」を連発したことでしょう。

地形図を見て、現在地とボウヒュッテを探します。

釜底の正面上、釜の淵には青白い氷河の末端が見えます。

視線をぐるっと右に回したところで、小高いところに建物が確認できました。

ボウハットです。小屋を見つけてから、およそ45分程で小屋にたどり着けました。

小屋は二棟からなり、正面玄関の奥がトイレ。左棟が2段ベッドで自前のシュラフ仕様。右が食事などをするレストルーム。

レストルームは食器、鍋、ガス、ストーブが備えてあり、カナダのアルパインクラブの所有でC$10~20ぐらいとのことでした。

レストルームに入ると、既に何人かの欧米人がなにやら真剣なおもむきで、1人は前でザイルワークの説明をし、他の女性を含む7~8人が聞き入っていました。

五島氏が端の1人にこっそり訪ねたところ、「クライマーの虎の穴」ヤムナスカの講義中とのこと。同行された萩野さんはヤムナスカのことはご存じなかったにしても、その真剣な講義の様子に「あ~ぁ、やれやれ」と、言った雰囲気にはなれませんでした。

ザイルワークは見たところ、クライミングのためではなく、特殊な救助のための講義のようでした。おそらく、ビレイヤーが下で、高い位置の負傷者を下げる場合のような感じがしました。

時間も既に2時を過ぎていたので、食事もそこそこ小屋を出ようとしたところ、また別のパーティーが戻ってきました。今度はアジア人が主体の構成です。氷河でのトレーニングから帰ってきたようでした。

その一人に、「日本人の黒沢を知ってるか」と訪ねて、言った後からアホな質問をしてしまった、と気が付くのに1秒もかかりませんでした。

そう、この若い受講生達が、もう何年も前に卒業した黒沢氏の名前を知るよしがありません。

小屋を出たところで、真っ直ぐ下るつもりでしたが、すぐ目の前に氷河が見えているのに、このまま下るてはないと、五島氏に了解を得て、駆け上がること5分足らずで氷河の上に立つことが出来ました。

氷河の上に立つと「次はこの上をアイゼン、ピッケルでアタックしたい」と言う衝動に駆られるのは、山ヤなら誰もが思うことでしょう。

下りは登りと同じルートを下ります。湖畔の車についたのは、午後5時半。相変わらずの雨でした。

帰路に就く前に、五島氏がもう1つきれいな湖を見せたいというので、連れて行ってもらったのですが、そこはPeyto Lakeと言って、熊が手を広げて立っている姿に見えます。まるで、鹿瀬から見る5月の大日岳の雪形のようでした。

この日の帰り道、五島氏が「今日で大江さんのガイド最後なんで一緒に飲みませんか」と、言ってくれたので、お言葉に甘え、キャンモアの五島氏のアパートへおじゃますることになりました。

バンフからキャンモアに向かう途中「エルクを見せたい」と言うので裏道を走ってもらいましたが、とうとうエルクの群れに会うことは出来ませんでした。

しかし、道中2つ教えてもらったのが、1つはポプラの下部が黒くなっているのは、鹿が樹皮を食べたためで、黒くガリガリになって樹皮が再生しています。

もう1つは以前大きな山火事があってから、消失範囲を拡大させない目的で「コントロールファイヤー」と言って、人工的に山火事を起こすのだそうです。

これが以前テレビで見た「カナダの自然は、人間が守らないと失われてしまう」「カナダの自然は人間が作った自然」と言われるゆえんなのでしょう。

五島氏の住むアパートは日本円で2万5千円位らしいのですが、東京の20万円のアパートより広いでしょう。

結局この日は、五島氏のアパートで雑魚寝になってしまいました。

SEP 20,2002 バンブラ”バンフの町を歩く”

朝、五島氏のアパートでいつもの時間に目を覚ましましたが、五島氏はまだ寝ているようでしたが、数分後には起きてきて、朝食とランチの準備を始めました。

ついでに私も朝食をいただき、久しぶりにご飯を食べさせていただきました。

五島氏はこの日、19日に一緒だった大森さんと早苗さんらを、Lake Oharaに案内する予定が入っていましたので、その足でバンフのホテルまで送ってもらい、五島氏に丁重に礼を言って分かれました。

部屋でシャワーを浴びてから”バンブラ”に出かけ、1日中バンフの町を歩き回りましたが、そう大きな町ではないので、1日歩けばどこで何があるか概ね把握することができます。

締め括りは、今回の旅の最後を飾って、ハイカントリーインのレストランでスイス料理に舌鼓を打たせてもらいました。初めて食べたエスカルゴは、子供の頃親父の山で壺焼きにして食べたカタツムリとは、全く異質でデリシャスなものでした。

SEP 21,2002 再来を誓う

7時30分にブリュスターのバスが迎えに来るので、早めにロビーに出て待つことにしました。

ほぼ予定通りに来てくれて、車内には1人だけしか客はいませんでしたが、この後バンフとキャンモアで客を拾いながら、カナディアンロッキーを後にしたのは8時をとうに過ぎていました。

この日は初日と異なり、遠くの山々を車内から望むことが出来ました。

スリーシスターズやヤムナスカリッジがくっきり見えていて、自分たちが歩いたリッジすら確認できました。

しかしカナディアンロッキーの見送りはこれだけに留まりませんでした。

カルガリーからバンクーバーに向かう飛行機の窓から、いつまでもどこまでもカナディアンロッキーが手に取るような近さで見渡せます。

機内放送では「高度8,000m」とか言う割には、随分山々が近く見えるので、初めのうちは「嘘だろ」と思ってしまいましたが、よく考えれば山が既に4,000m近いことを思えば近くに見えて当然の事と理解できました。

飛行機は高速1号線の北側を飛びます。キャンモアらしき町並みを見つけた後、次の瞬間自分の目を疑う予想もしていなかったものが私の目に飛び込んできました。

それはまだ私が実物を見たこともなかった、天を突くような鋭い岩峰。

我が憧れの”MOUNT ASSINIBOINE”(3,618m)でした。見たことが無くともその山様は疑う余地がありません。すかさずカメラを取り出し、写るかどうかもわからず、シャッターを切りました。そして、窓からその勇姿が消えるまで、後を追いながら再来の誓いも新たに、そのときの感激は今も色あせることはありません。

おしまいに”感謝の気持ち”

今回歩いたコースは、初めてカナダを歩く私にとっては、十分満足出来る魅力的な山行でした。

しかし、それは更に魅力的な山々を、手の届くような目前に見せつけられ、次に夢を馳せてしまうコースでもありました。

黒沢氏の心憎い演出でしょう。黒沢氏のカナディアンロッキーに対する思い入れの深さを感じました。

また、はじめての海外旅行がツアーコンダクターもなしで出来たのは、黒沢氏の援護無しでは成り立たなかったでしょう。

そして私の貧弱なボキャブラリーでは、その感謝の気持ちを表し尽くすことはできません。

さらに、人と人の繋がりの尊さを改めて感じた旅でした。