尾瀬・燧ケ岳 [山スキー]

1. 山域・メンバー

日時 2006年3月26日(日)
山域・山名 尾瀬・燧ケ岳
地図 燧ケ岳(1/25000)
山行内容 山スキー
メンバー 渡辺(K)(峡彩山岳会)
ルート 桧枝岐~七入~ぶな平~東田代~熊沢田代~燧ケ岳~熊沢田代~広沢田代~御池~ぶな平~七入~桧枝岐

2. 行動記録

日程 2006年 4月 2日
タイム 桧枝岐8:30~七入09:30~標高1700m12:00~熊沢田代13:05~燧ケ岳山頂14:40-15:00~御池15:40~桧枝岐17:10

報告:渡辺 国生


(1)上米子から燧ケ岳


(2)熊沢田代から燧ケ岳


(3)柴安くら


(4)燧ケ岳山頂。後方は至仏山


(5)広沢田代を見る(正面、会津駒)

いつか積雪期の尾瀬に行ってみたいと思っていましたが、インターネットでスキーなら日帰りで行けると知り、挑戦しました。

25日(土)は仕事、空を恨みながら「明日は何処にしようか?」などと考えていましたが、26日も天気が持つようなので念願の尾瀬に行くことにしました。新潟2時出発で、6時には歩き始めたいと考えていた筈が、途中で仮寝をしたら7時を過ぎ、更には桧枝岐を過ぎると車道が直ぐに除雪終了となり、「こりゃ、行ける所までかな?」とテンションの下がった出発となりました。

「持つ」という予報の天気も怪しく、「何時、途中で止めるか」が今日のテーマとなりましたが、上米子まで進むと燧ケ岳も見え、先は遠いながらも意欲が湧いてきます。七入からは林道をショートカットして高度を上げ、ぶな平から進路を左にとり東田代に向かいます。

御池からの林道が交差してここからが登り、既に11時過ぎており山頂に行けるか微妙な按配になりました。なかなか崩れない天気を「今日は持つ」と勝手に解釈して、「あと3時間、できれば2時着」と気合を入れます。ラッセルは踝~靴くらい、今週後半に新雪が降った模様で雪崩が気になり始めます。一気に登り上げたい所ですが、振り返ると会津駒ケ岳など見えて、「会津駒ならば写真を撮らなければならない。」と理由をつけて一息入れます。今回始めてゼリー飲料なる物を持ってきたので飲みましたが、まずい。うーん、アミノ酸やら何やらで効果があれば良いのですが、私には向かないかも。

デブリこそ無い物の、帰りにこの沢を滑るのはどうも・・・、などと考えながら登るけど、休憩しても足が進まないのは同じ事でした。やっとの事で、東田代着。山頂はここから更に沢地形をそのまま詰めるのが最短ですが、いつやめても良いように名前の有る地形を目指す、と云う事で熊沢田代に向かいます。(標高○○mで中退より、熊沢田代で中退、の方がわかりやすいので。)

天気・時刻・雪崩と気がかり3要素の中の登りでしたが、ここまで来ると雪崩の雰囲気は(私的に)無くなりました。熊沢田代に出るといよいよ展望も開け、天気は相変わらずの高曇り、正面には燧ケ岳、残り標高差350mで、2時半行動終了と云う事で最後の登りに取り掛かります。

「早く滑りたい。早く滑りたい。」と呪文を唱えながら登るのですが、もう足はヘロヘロ。雪面はバーンになりスキーがズッコケ始め、休憩が30分に1回となり、ゼリーの影響か用足しは近くなり、そんな中やっとで柴安くらを見たときは「来て良かった」と思いました。

山頂周辺はやや氷化していましたがスキーで登り上げ、頂上からの越後の山々の白き事といったらそれはもう・・・。シールを外し、ビールを飲み、滑降はいつでもOKです。時間も無い中の最後の展望を楽しみ、スタートします。高曇りでしたが七入まで見えているので、安心です。時折、新雪にスキーがつっかえますが、熊沢田代までの超快適斜面は、一人で吼えながらの滑降となりました。ここから登りの沢筋を却下して広沢田代に向かいます。小ピークを登り返すとまっ平な広沢田代や御池が見えます。「広沢田代はスキーをこがなきゃダメか?」などと考えて進むと、この下りの斜面が破断面30センチ程で雪崩ており、しかも最近の様です。雪崩としては小規模でしょうけれど、沢コースをやめて良かったと思いました。広沢田代はスキーが快適に滑りましたが、御池の下りは雪が重く、最後は林間を移動モードで御池を目指します。

ぶな平はスキーが全く進みません。ヒールフリーで歩くのは大変でしたが、ここは安全地帯、もう明るい内に車に戻れます。最後の九十九折は安全優先で林道を行きました。最後のカーブだけカットしたら案外とザラメで滑りやすく、「これなら最初から滑れば良かったか?」と思いましたが「怪我無く帰るのが先決で林道を行った選択はBEST。」と考え直します。七入を過ぎ、桧枝岐川の水を汲みました。ああ、やはり水はうまい。谷間からの燧ケ岳はまだ明かるく、煙草を付けて桧枝岐へと向かいました。