白山~粟ヶ岳

2004年3月3日
峡彩山岳会 坂井
期日 2004年2月28日~29 暖冬小雪
同行者 CL・M、SL・F、M、(3人で56.3才)M 76才 4人 平均61.25才

時間記録
2月28日(土)晴
慈光寺7:55-10:20白山10:42-宝蔵山-橋立-蛭が平(標高800m)幕営地15:00

2月29日(日)曇→雨
幕営地6:00-7:22権ノ神岳7:42-粟ヶ岳北峰10:45-11:45砥沢ヒュッテ12:50-15:25岩野-17:20慈光寺解散

概要 2月28日
水原山の会行事、五頭連峰交叉縦走が小雪と参加者不足で表題のものとなった。
水原6時予定通り出発。加茂水源地は手前の岩野奥までで車一台停泊。他空車1わかん跡1有り。返して慈光寺へ、1~3パーティー12~3人が出発準備中でした。計量したら25kg弱は厳しいな。服装 背にタオル・毛長袖シャツ・ベスト、パンツ両膝サポーター・更に故障の左膝には冷暖二重の手当て、雨具上下、スパッツ。
今日は好天になるんだ足手纏いになるかもしれないが宜しくと頭を垂れる。焦らず前へ歩を進めるのみ。杉木立を通してまだ鈍い朝日が射してくる。登る程に雪が少しずつ増してくる。一団のツアー客も中高年。80近くは難儀だよと話したら70、80は洟垂れ小僧とやり返された。
白山の小屋までの他者。荷2点をLへ渡し軽減してもらう。わかん装着に手間取る(締具を替えて2回目なのだが慣れていない)皆の後を追うが空腹我慢できず行動食にと荷を下ろす。数分間は晴天なのだから大目にみてねと心の中。また、左足が吊りそうな気配に鎮痛液を2回程塗る。軽装単独行者が追い越して行き、しばらくしてその帰りに遇う。
宝蔵山でお昼、三角点標は雪の下。川内山群の山々が輝いているが、小雪でたおやかさが足りない。橋立分岐の稜線でLはGPSを眺めている。南に向きを変えて下りで橋立の標識は首から上を出していた。五剣谷も青里も矢筈も見え、右前には目標の粟ヶ岳が巖として屹立していた。貯水池が間近になる。泊まり場は権ノ神を越えては適地なしで決まった。

2月29日 深夜2時半、気温5.1℃南の微風暖かく加茂の灯も見える。さあー、今日は本番だ。脛中間ほどのもぐり、粟も頂きは判然としなくなってきた。権ノ神岳着、わかんからアイゼンに変え上部装備も付し、心をひきしめて前へ。先頭を下るE、雪庇上に行き後から注意が飛ぶ。頂きでGPS確認したLは痩せ尾根の雪に藪に足を取られながらも、快調に先頭を切って行く。七頭の痩せ尾根、平年並みの降雪と風雪の中ならば、全く全神経を集中して行くのであろうが、小雪の今冬はそれがない。でも不安はある。N女も小粒ながら頑張っているが、雪藪に足を取られると重荷で容易でない。
それどっこいしょと右足を抜こうとしたら、体勢を崩した私がずっずずーと西側に滑り始めた。下方頭近くの立木に掴まり起き上がり事無きを得た。5~6mの滑落でした。(8時半)
粟はガスの中、眺めも効かなくなってきた。幾つかめの小峰で大きなどっしりとした雪庇を行く先頭に左、左へ危ないよと大声を発した。
狭い小峰で小休止。僅かの回し飲みのコーヒーがおいしい。
LのGPS確認。登りのみ。漸くピッケル使用の私。それまでは両杖と両4本指の深く刺すことで来た。風上側の黒ずんだ氷化雪にアイゼンの爪を効かせる。2~3歩毎に叩き落としていた団子雪はここではいくぶん雪の付着が少ない。傾斜が緩くなって稜線に着いた。すぐポール発見。北峰だ。雪面に踏跡が僅かながら確認できた。GPS確認。視界は15~16m位か南よりの風強し霧雨。
僅かの距離で雪上10cm程頭を出している標識は、粟ヶ岳山頂への矢印が確認できた。山頂へはパス決定し、砥沢ヒュッテへ向け下り始める。斜面が変だおかしい。逡巡しばし、地図・GPS確認と少しの視界緩みで正道に乗る。時々踏み跡がわかる程度。暫くで再び広い斜面を下るが此処でもGPS確認で正道に戻る。小屋近くまたまた逡巡。雪線が全く不明だ。GPSを信用しているのだが。ロープ出しての私、L ロープ? その時おーいの人声が聞こえた。左の方だ。こちらも応答する。ホイッスルのピーピーも聞こえた。良かった。30~40m程か、浮かび上がってくる黄色のスーツは2人。小屋はほぼ雪に埋もれていた。2人にありがとう。髭面の顔は見覚えがある。Sさんですか?坂井です。寄ってきて握手。頑張っているね。ありがとうと返す。もう1人は学生か、北峰まで行ってくると2人で地図を手にした。
小屋の中に中年女性が一人座していた。ちょうどお昼だ。行動食は残りお握りとパン少しスープと白湯ポカリスエット。即席ラーメンの人も。女性は生粋の燕っ子人、一段落の山登り再開とか、やがてさっと下山して行った。
時折、並雨の降りにフードをとることも出来ず、重い雪にともすれば足を取られる。水源地は15時、車デポ地までの25分間は実に長く胸が締め付けられるようであった。
GPSの効果大なり誤差20mとか。 帰宅 荷は19kg 体重48kg 1.4kg減でした。

高齢者の歩行は壮年者パーティーの足枷となる。その時間差は30分から1時間半程か、負荷重量もかつてのように担うことが出来ない。衰えを少しでも延ばしたい。一つ一つの積み重ねが目的に近付く。故障の左膝をみながら、若い時の夢が一つ叶えることが出来ました。寛容の同行諸氏にありがとう。感謝。