報告日2005年 4月20日(水)
報告者 大江
日本平
中の叉の白滝
1.山域 メンバー
山域・山名 川内山塊 下田 鎌倉沢源頭部周遊
ルート 大谷ダムから五平小屋周り、笠堀ダムへ
山行種別 個人
山行内容 ミックス
メンバー L:楡井 戸貝 大江
2.行動記録
日程 2005年 4月16日 幕営地5:10→川クルビ沢右岸取り付き6:10~6:30→日本平(862m)8:20~8:30→五平小屋跡(900m)
9:55~10:30→弥十郎(鞍部)(720m)12:35~12:50→光明山(879m)13:30~14:30→フイゴノ立背
15:15→大日陰沢上部ピーク(680m)17:30→笠堀ダム18:10 終了
3.報 告
前夜、伊藤から幕営地、旧大江集落跡付近まで送ってもらう。予想より奥まで除雪されていた。
4:00に起床し、朝食を摂った後、仕事へ向かう伊藤と別れた。
気温は5℃前後か、さほど凍みてはいないが締まっていて埋まることはない。
川クルビ沢の出合(300m)からは左岸の杉林を登る。向かって左上にロボット雨量計がある。杉林の切れた辺りで雪渓から対岸へ越える。広々とした山毛欅林の中を黙々と登ると、日本平直下付近の尾根では藪がでていて、所々で夏道が伺える。
日本平(862m)は「平」と言うだけあって、チョットした平になっている。とは言え、飯豊の千石平や万石平のような広さではけっしてない。
ここから万之助山までは殆ど800m前後のアップ、ダウンが続く。
五平小屋跡までの途中、白滝沢の突きあげ鞍部は痩せ尾根の岩が露出していて「観音石」が拝める。
(注:地形図には五兵衛小屋跡とあるが、故藤島玄氏の「越後の山旅」に記載してある「五平小屋」の表記をあえてさせてもらう)五平小屋跡(900m)はバナナ上の細長い平地で南面が藪で叶津川へ落ちている。北面はなだらかな凹状山毛欅林になっている。水の便などを考えると、実際に小屋が掛けられていたのは、この山毛欅林側だったのかも知れない。
雪のつながった尾根を北へ下り、登り返したところが、今回最高峰の926.3mの三角点がある山名不明のピークである。中の叉の金蔵沢に架かる50mはあろうかと思われる大きなナメ滝が雪を割って見ることが出来る。白滝という。
このピークから広々した斜面を北に100m程下るが、なるべく右へルートを取る。むやみに下ると白滝沢へ下りてしまう。この先、登り返したところからは、随所に雪尻が割れ、藪が覗いた痩せ尾根が続く。
光明山手前の弥十郎は、笠堀砥石の切り出し小屋へ下りる鞍部である。ここから光明山までは藪化が進んでいるが、使われていた痕跡が残っている。
左奥が光明山
光明山山頂は勿論貸しきりである。中高年ハイカーがここに来るには時期がまだ早かろう。
光明山から万之助までは、露出した岩の夏道とナイフリッヂの雪稜からなるミックスクライミングである。万之助を越え「やれやれ」と思いきや、雪に覆われた広い山毛欅林の中は、通い慣れた楡井にしてルートを見つけるのが難し。大日陰沢源流部のトラバース路は雪崩を回避して、高巻くことにした。
ここに来てまたもや藪コザキを強いられるが、安全策である。
ピークを越え広い山毛欅林へ立つと残りは30分で笠堀ダムに降り立つ。日も暮れかかった旅の終わりである。
4.感 想
当初計画では中の叉経由、駒形山、室谷へと1日で抜ける計画であったが、五平小屋跡で既に10:00になってしまい、これは計画では、中の叉の時間であった。従って五平小屋跡で既に無謀な計画であったことをまざまざと認識するハメになった。と、同時に計画の変更をしなければならないわけだが、「ここ(五平小屋跡)から中の叉まで行って、同じルートを帰るほど、中の叉に魅力感じないね」と言う話しになって、楡井が提案したのが「やったことがないし、そっちの方が魅力がある」と言う理由で光明山経由でのルート取りとなった。事実、このルートは800m前後の低山ながら、雪稜あり、岩あり、藪ありで、実に有意義で面白いルートであった。