飯豊連峰主稜線[尾根]

1.山域 メンバー

山域・山名 飯豊連峰 主稜線
ルート 川入から長坂
山行種別 個人
山行内容 尾根
メンバー (L)大江(単独、峡彩山岳会)

2.行動記録

日程 2004年 8月 7日SAT~ 2004年 8月12日THU

3.報 告

8/07川入の御沢キャンプ場に車をおいて、長坂を本山小屋まで。途中何度か無線で、登山者情報を本 山へ入れる。本山小屋泊。食当。キリスト教独立学園の父兄パーティーと合流。

8/08小屋の冷却ボックスの雪を取りに玄山道まで行く。この日、御西小屋へ移動するつもりであっ  たが、小椋さん(管理人)が寂しそうに「もう一晩、ここにいれば?」と勧めるので、世話になるこ とにした。本山小屋泊。食当。独立学園の三島君達に峡彩の威厳を掛けて旨いご飯を炊いてみせ、食 べてもらう。「学園鍋」も旨かった。

8/09この日こそ「御西へ」と思っていたが、梅花皮小屋の関さん(管理人)が「俺が明日、(山を) 下りるのわがってで(梅花皮小屋へ)来ねぇのが?」と、無線からフェイントを掛けてくる。

仕方なしに御西の松葉さん(管理人)には再会の挨拶をして、関さん宛のお土産を預かり、梅花皮へ 向かう。着いてみれば「ホントに来ちまったのがよ」とは、ごあいさつな・・・。

8/10関さんにお世話になったお礼と、再会を約束して、関さんは小国へ、私は御西へ向かう。

関さんの指示で、途中天狗の庭付近のハイマツの枯れ枝や枯れ根を鋸で切りながら行く。

松葉さんと改めて挨拶をかわし、昼食の後、ブンちゃんの慰霊に大日岳まで出かける。ところが、ブ ンちゃんの散骨したところが、何か小動物に散らかされた様になっていた。きっと先週、慰霊に来た一行がビールやラム酒をお供えしたのを、テンかイタチが臭いを嗅ぎつけたのだろう。まあ「名実ともに飯豊の土になったかな」と、変に安心してしまった。

御西小屋泊。食当。松葉さん、米を空だきして焦がす。全て自分がすれば良かった。

8/11松葉さんと世間話しをしたり、スケッチをして昼過ぎまでのんびり過ごす。8日からこうして過ごすつもりだったのが、番狂わせになってしまった。御西小屋は来年建て直しをされる。大日岳を背景にした最後の御西小屋のスケッチ(水彩画)は、松葉さんが「是非」と言うので、下手くそな絵で申し訳ないが、貰っていただいた。

本山小屋へのトイレットペーパーを両手に預かり、松葉さんに別れを告げ、本山小屋へ向かう。

8/12本山小屋で朝から食当。小椋さんはトイレと小屋の掃除。早めの昼食を食べて鍋、食器類を全部 洗って、山を下りる。急いだわけではないが、御沢まで4時間半かからなかった。

帰り道、一ノ木の”飯豊の湯”で汗を流すと茶色い水が出てきた。

4.感 想

へそくりが底を突いたのと、家族からのひんしゅくを恐れ、海外を諦めた今年、「どうしてこの夏を過ごそうか」と、考えた結果”飯豊居候山行”となった。小椋さんからは「バカな仲間ばっかりだけどBBZ(私の愛称)は大バカ」とほめられた?り、御西で松葉さんと別れ際に松葉さんに別れを惜しまれこっちまでウル目になったり、心ない登山者(某大学教授らしい)と口論になったりと、色々あったが、通い慣れた飯豊とは言え、充実した休暇を過ごせて良かったと思う。