地域研究 柴倉川流域県境尾根

平成15年 3月30日(日)晴れ

国土山・高陽山・木地夜鷹山・ 台倉山縦走

メンバー L大江・伊藤

前夜、楡井さんと佐藤(安)さんの両名から、丁重なる見送りと激励を受け、30日朝はそれぞれの目的のため、早朝に上田ダム脇の幕場から散りました。幕場を発って間もなく、細い橋を渡り沢を越えるとすぐ尾根に取りつきます。これは送電線の巡視路で、延々と五泉市馬下の変電所まで伸びているはずです。程なく凍みた雪に乗ることが出来、快適に高度を稼げます。それにしても、送電線の下は切り倒された雑木の上を、雪が覆っているので、あたかも高速道路か滑走路のようです。両脇の山毛欅や水楢、天然杉などの景観とは、まるで異質な感じを受けます。県境稜線に着くとそこには、送電線の鉄塔が1機、その僅か右手のこんもりしたところには、雪の下に石の祠が祭られているはずです。”沼越峠”と地形図で銘打ってあるところは、ここから西へ400m程行かなければなりません。私達は、ここから先ず東南東の国土山を目指します。国土山(858.2m)山頂付近は、立派な天然杉が鬱そうとしています。一昨年の秋に来たときは、そんな藪の中にこっそり三角点が忍んでいました。国土山からさらに東南東へ200m程進むと20m位の草付きの急斜面を下り、さらに鞍部から同じくらいの登り返しになります。この辺は、常に左手柴倉側の下方に比較的大きな岩稜を見ながら左巻きになります。会津側の縦峰山への分岐点からは標高差100mを越える長い下りです。しかし、鞍部から837mの標高点までは、あちらこちら雪が切れている所が道の体を成していて、鉈目や測量杭も何度か見られました。この様なところは、この後も頻繁に現れましたが、急峻なところは藪化していました。また、柴倉側は岩稜で切れ込んでいるところが多い一方、会津側は全体的に山毛欅林で形成されているところが多いようです。高陽山は地形図に「三ッ森」と、記載されているように、幾つかの曖昧なピークから成っていますが、高低差10m程の岩場を越えた先が、いわゆる高陽山のようです。ところが、高陽山に立つと、そのまま目の前の稜線に進みたくなるのですが、ここは要注意です。前方に見えているのは、二王杉山(909m)で、我々が進むべき進路は北北西、遙か下方に下っている尾根で、標高でほぼ700m、高低差200mの鞍部まで下らなければなりません。さらにその先に望むことが出来るのが、木地夜鷹山のそれでした。北北西の真向かいには、のっそりとしてピークのハッキリしない金凍山(924.6m)が木の枝まで確認できる距離に望めます。木地夜鷹山の前後は急な細尾根で、藪がひどい状態でした。夜鷹山への分岐の先、稜線通しに下ると、スッパリ切れ落ちているので左手草付きを降りて、ピークを一つ右手に見てとばし、平坦な雪面にルートをとります。この鞍部から大山祗神社までは、ずっと 雪が切れません。台倉山(863.1m)手前は杉と山毛欅の混成林で、山頂から神社側は、山毛欅の巨木が多い雑木林です。神社を左下に見ながら、巻くように尾根沿いに下り、途中雪の落ちきった斜面を神社の社務所に向かって下ります。ここから先は、長い林道歩きが、延々駐車場まで続きます。

最後に、中程にも書いたことですが、今回歩いたこの稜線も、所々で役所のものと思われる測量杭や鉈目が見られ、それは柴倉流域で比較的多い感じがしました。林道途中で、迎えに来ていただいた、川口、楡井の両氏と程なく合流となり、「地域研究」柴倉流域の完成を祝福しました。

記:大江