報告日 │ 2001.5.2
報告者 │ 大江
1.計 画
行動日程 2001年4月28(土)~30日(月)
山域・山名 飯豊連峰(水晶、笠掛、大日、本山、三国縦走)
メンバー構成 L成海、大江
2.コースメモ
28日
実川部落6:20~790m地点(鉄塔監視道はここまで)8:10~高目当9:15~水晶峰14:15~つぼやす沢源頭部(ビバーク地)16:10
29日
ビバーク地6:00~笠掛手前1320mピークの肩6:40~笠掛山7:10~オコナイ峰8:50~櫛ヶ峰10:40~牛首山11:50~大日岳13:20~御西小屋14:45~飯豊本山小屋(泊)16:10
30日
本山小屋6:45~切り合小屋8:05~三国小屋9:35~横峰10:55~下十五里11:30-13:00(川口さんと合流)~御沢13:30
3.感 想
はじめに、今回のルートには、鹿瀬で生まれ育った私にとって、我が家から望める憧れのルートとも言える。単独でやっている頃は、地形図を眺めてはため息をつくばかりで、まさか自分が登れるなどと考えても見なかった。しかし、峡彩の心強い先輩、同志を得た「今なら出来るかもしれない」と、佐藤(安)総務部長に案としてメールを送って見た。それがリーダー会のテーブルにのり、核心部を含む七割方が採用され、成海さんから「これでもいいですか」の問いあわせに、答えは”of course”。道路や取り付きの下見などもしながら、今山行に意気揚々として望んだ。
〈28日〉晴れ 風無し
実川の猪俣宅に5:50に到着し、挨拶をして車を置かせてもらい、神社裏から裏川と繋ぐ電力監視道を使って450mの峠、稜線まで上がる。監視道は790mの小ピークまで続いて下り始めていた。所々階段も設けられていて整備が行き届いている。2週間前の下見の時はこの辺まですっかり雪が覆って見えたが、今日はここまで無雪だ。ブナなどの雑木の新緑が眩しい。途中、中型の熊の姿に、向こうも驚いて飛び出してきたのだろうが、こっちも肝を冷やした。
ここからいよいよ藪突入かと思ったが、鉈目なども見え、どうも道の様子を呈している。10分も歩いただろうか、雪渓が見え、2段の沼が現れた。地形図を見ると、この下に「沼尻沢」が派生している。成海さんが「丸山さんの話によると、このルートに”黒松沼”とかが、あるらしい」と言う。これがその”黒松沼”なのか、周りを見渡しても黒松は、見あたらない。しかし、あの沼以外、沼は無かったので、沼尻沢の源頭は”黒松沼”で正解なのだろう。
ここから高目当までは雪を使って順調に進めた。高目当から藪本番に入った。しかし、間もなくして私の足の調子がおかしい。足がツリ始めた。こんなに早くから腓返りを起こすのは初めてだ。騙しながら藪をこざいているうち、目の前に大根オロシがあらわれた。鞍部の対側から見る大根オロシは、下半身不随に近いこの時の私にとって、十分すぎる「バリアー」であった。成海さんの「とりあえず行ってみましょう」の声で重い腰を上げ、両足を引きずりながら”おろしがね”の下まで行って見た。私が足に処置をしている間に、成海さんが下見をしてきて、「結構低灌木が張り付いていて、行けそうです」と、言う。自らの足を励ましながら、何とか成海さんについて一つ目の壁をクリアー。一つ目以上に急峻に見えた二つ目の壁は以外と一つ目より楽にクリアーすることが出来た。それにしても、思惑に反して大ブレーキとなった我が身、我が足が情けなくて、仕方なかった。水晶峰から下り、鞍部付近にマタギの小屋骨とデポ品を見つけ、「こんな所まで来るのか」と、感心させられた。帰路、実川の猪俣さんに聞いたところ、豊実船渡の「鉄砲打ち衆」とのこと。このマタギ道に随分助けられた。しかし、ここから僅か行って、笠掛山を目の前にして、この日、精も根も尽き果てた。テントの中で、食事をしながらの楽しいはずの宴会は、8:00を過ぎた頃早くも沈没してしまった。ただ、こんな山の中で、無線もろくに入らない、基地局もサッパリ見えないところで、携帯電話が通じたのには正直、おどろいた。
〈29日〉晴れ 風無し
4:00過ぎ、静かな朝を迎え外をのぞくと、夜露すら落ちていない。処置の甲斐あってか、足の方はまずまずと言ったところ。食事を済ませビバーク地を後にし、わずかの藪こぎの後、雪に乗れた。
笠掛山直下の1320mピークの下は地形図でツインピークスと思っていたところは、以外や水の溜まらない窪地だった。雪が渦巻いていて、カルデラのようにも見えるが蟻地獄のようにも見える。地形図を見ると、おそらく、ここがオウデ沢の源頭と考えられる。
笠掛の急登を喘ぎながら登ると、根曲がり竹の藪の中に、三角点があった。笠掛から見上げるオコナイ峰、櫛ヶ峰の急登は足の不安を思うと、溜め息が出る。笠掛山からオコナイは僅かに下り、鞍部から更に2段のステップを経てオコナイのピークを踏むことになる。休み場があって丁度よい。オコナイ峰はその先にもう一つピークを持っていた。櫛ヶ峰に着くと大日方向からの四~五日前と思われる、トレースがあった。
牛の首付近で、さあこれから大日への今山行最後の急登か、と言うところでようやく、無線が通じた。本間スキー隊と丸山さんとの交信だった。両隊の今日、明日のスケジュールを丸山さんに報告すると、いよいよ退くに退けなくなった。それにしても、見慣れているはずの牛首から見た本山小屋はもちろん、御西小屋も春霞のせいか遙か遠くに見えた。
大日岳のアタックは成海さんにリードしてもらい、正直助かった。パワーダウンの上、革靴の私にとって、あの急登のキックスッテプは堪える。それでも大日岳山頂からの展望は、ここまでの苦労を忘れさせてくれるに十分だった。
ここまで来れば、飯豊本山小屋までは惰性で行ける。御西小屋は、風の通り道のせいか、小屋だけがすっぽり出ていた。しかし、本山小屋は、玄関はもちろん、二階の裏口も雪がドッカリ居座っていて、除雪をしてようやく入ることが出来た。それでもやはり、新しい小屋は暖かく快適だった。
この日の夜は同じ頃、地蔵岳の山頂で無線で強がりを言いながら、やせ我慢している?何処かのスキーパーティーを尻目に、ゆっくり前の日の分も、楽しませてもらった。
〈30日〉晴れ 風無し
前日までの天気予報は、良い方に変わり、三国小屋に着く頃は、晴天となった。
剣ヶ峰は一部、ヤバイ雪の上を渡る羽目になったが、運を天に任すほか仕方ない。それにしても、最初に渡った人はクレイジーだ。
下十五里で迎えをお願いしていた、川口さんが歓迎パーティーの準備をしてくれていて、今山行の成功を祝っていただいた。
最後に、東京生活による山行不足を言い訳にしたくないが、この一年での体力の衰えと管理不足を痛感する羽目となっていまい、歯がゆくてしかたがなかった。もう少し体力に余裕があれば、大根オロシももっと楽しめたのにと、成果と反省が複雑な合宿であった。
それにしても、今山行の成功のカギは、成海さんのリーダーシップにあることは、間違いない。こうして、飯豊を一つまた一つと、知っていけるのは、うれしい限りである。
以 上