第28回奈良山岳会交歓登山 大峰・赤井谷、台高・大台ケ原

奈良山岳会さんとの交歓登山が平成14年9月18日(日)-20日(月)にかけて行われました。今回は峡彩メンバー11名が奈良に出向き奈良山岳会さんに大変お世話になり世界遺産に登録された山と谷を堪能してきました。さらに打ち上げ会の夕方には山行参加できなかったみなさんも駆けつけにぎやかに楽しく行われ、両山岳会の友好の深まりを心から感じることができました。2年後の新潟での交歓登山に向けて気持ちを向けていきましょう。

 昭和53 年の秋だったと思います。東ノ川の遡行に参加したのが初めての交歓登山でありました。初日の晩は雨の中でポンチョを被って寝たふりをしていたのを昨日のように思いだします。西ノ滝・中ノ滝はガスで上部が見えませんでした。私の奈良交歓登山は東ノ川から始まりました。

昨年、訪問する予定でしたが本間(F)会員の事故のために一年延期していただきました。彼もサマーコレクションには行くんだと言っていましたので残念でなりません。私共の参加は8 名が沢希望でした。世界遺産に登録された山と谷を歩いてきたパーティーのみなさんはとてもよかった、美しかったと言ってとても満足そうでした。

また、奈良市で開催された野鳥の学会出席のために会場まで送ってもらう者がいたり、新潟での結婚式のために夜中に到着する者がいたり、いづれも我がままを聞いてもらい一日目の夜遅くに伯母峰ゲートの泊り場まで送り届けていただいた。だからこそ参加できた二人も居ました。

私は一日目に中ノ滝を登らせていただきました。270 メートルの落差の滝は圧巻でした。取り付くといろいろ変化があって一つの滝登りの中にクライミングの全ての要素が備えられている。とても楽しく登ることができました。

二日目のサマーコレクションはコンディションが悪くて2 ピッチでやめましたがコースリーダーの佐々木健さんはじめ皆さんにとてもお世話になりました。クライミングに関しては奈良山岳会の層の広さに関心しているところです。

そして合同宴会では時間の経つのも忘れる程に楽しく過ごさせていただきました。本当にありがとうございました。また、帰りにはおみやげまでいただきました。本当にありがとうございました。

この交歓登山が末長く続く事と福本会長はじめ皆様のご健勝を祈念して御礼の言葉といたします。

峡彩山岳会会長 楡井

コースと峡彩のメンバー

●大峰山系 十津川村 赤井谷

成海 井出 戸貝 内山 伊藤(M) 伊藤(S) 原田 野村

●台高山系 大台ケ原

楡井 太子 佐藤(Y)

交歓登山を振り返って

第28回交歓登山に参加して感じた事

当会の都合で一年遅れの交歓登山であった。古き友、新しい友らに平素の無沙汰を謝しながら楽しく意義有る3日間を過ごさせていただきました。奈良さんには心からのお礼と感謝の気持でいっぱいです。又当会の若手にも人と人との継りの大切さを始め多くの古き歴史と、越後の山々との違いと、チームワークを学んだ交歓会でありました。ただ一つ残念に思ったのは、いつもの交歓会でも一番に迎えていただきました西田さん(西やん)のお顔が無いのは寂しいの一言でありました。西やんの想いが年々歳々人は代わりながらも、この会が双方の努力で続き大きな感銘を与えているのだと思いました。

さて私、今回が28回目と聞いておりますがその半数には参加していると思います。しかしながら奈良の沢を歩くのは初めてとは私自身が驚いている次第です。日本の歴史の中心地として幾度となく奈良を案内していただき越後と異なる文化に触れ気候や環境の違いにも驚き、価値観の違いにも理解していたつもりであったが、今回の沢歩きで越後との違いをもう一つ感じ取って来ました。信仰の対象として山々は崇められて来たのは越後も奈良も程度の差こそあれ同じであろうが、越後における山、沢は多くが地元住民の生活の場であり、生きるための糧を獲る大切な地域であり、生活に密着しているのが実情であろう。奈良においての山々は信仰の基、修業の場として強くとらえられ、単に私たちが口にする表日本、裏日本の気候の差等で説明はつくまい。

この様に掘り下げて行くと又違った視点からの楽しみが増す事だろう。越後と奈良では様々な違いはあろうがただ一つ同じなのは越後岳人も奈良岳人も共に岳神を畏れ敬い謙虚な気持で山岳に憧憬し深い志をもって日夜努力を続けている事は交歓登山の長い歴史を振り返って見ても確かな歩みとして顕著に表れている。

(井出記)

シオカラ谷 記録(山行報告の一部)

前夜、奈良市内での私用を終え出迎えの徳野さんと近鉄橿原神宮前駅で合流。夕方新幹線で新潟を発った太子さんとも合流。徳野さんの車を走らせ岩組のテントに着いたのは深夜。寝付いたときは、すっかり日付が変わっていた。

早朝岩組サマーコレクションパーティーとともに大台ケ原駐車場から懐電をつけて出発する。緩やかな下りの遊歩道をしばらくで、サマコレパーティーは右手の踏み跡に入っていく。ここから徳野、岩本、佐藤のシオカラ谷パーティー3人になる。まもなくシオカラ谷にかかる吊橋にでる。ここが実質的な登山の出発点であり、シオカラ谷遡行の終了点になる。

吊橋を渡り巻き込みながら尾根上につけられた道を下りにかかる。遡行者以外あまり利用されていないようで藪を被って一般道とはいえないようだ。これまで遡行のために尾根末端まで行くという経験がなかったので「いきなり下り」でなんとなくピンとこない。ひとしきり下り展望のポイントで一休みする。明るくなった谷からガスも上がり、対岸のサマコレなどの岸壁や怒涛の滝々が圧巻。もう一下りで尾根末端手前になったが、谷に降り立つポイントで少々手間取る。累々とした岩の重なる谷に立てば対岸から降ってくるような西の滝に見惚れる。さっそく記念撮影。やっと眠気がとれたようで気合を入れなおし遡行開始。

「ゆっくり頼みます」とお願いしたものの岩を抜け巨岩を攀じっていけば、テンポも徐々に上がる。トレーニング不足の佐藤は無心に二人についていく。なんとも楽しいリズムを感じ始める。スケールの大きな谷で両岸が切立っているのに、明るい雰囲気を感じる。飯豊の沢でいうと中流~上流部に匹敵するのではなかろうか。しかし取り付くことも捲くこともままならない飯豊と違い、なんとかかんとか登ることができ不思議な感覚になる。奈良と新潟の気候、自然環境の違いを肌身で感じる。夏ならば飛び込みたくなるような淵が所々出てくる。今頃の気温では膝程度にと遠慮がちに進んでいると、いよいよヘソまで浸かるかなと思う淵に出る。覚悟を決め入っていくと胸まで浸かってしまった。みんなでニヤニヤ笑う。水温は低くないことを身体で感じた。

二股を右シオカラ谷へ。そこで休んでいると右岸岸壁がサマーコレクションと教えてもらう。見るとロープの延びた先端にサマコレパーティーが登っている。手を振り、徳野さんが声援を送る。坂本さんが無線で話をすると条件が今ひとつのようで今いるステップから「降りていく」とのこと。しばらく様子を眺めていると先頭の奈良組が懸垂下降、続いてその後ステップまで登った新潟組も降りてくる。徳野さんがコーヒーとカップ麺を用意する。佐藤が濡れたデジカメを乾かしのんびり待っているとサマコレパーティーがやってきた。

一息入れて合流パーティーで遡行開始。サマコレパーティーはほとんどが運動靴だが、苔っぽいぬめりを感じる岩や水の中を何事もないように歩いている。たいしたものである。無理と思われるゴルジュ滝を巻き気味に行こうとすると楡井さんがチャレンジすると言い出す。しょーがね~なあと眺めていると登りきって拍手喝采。

シオカラ谷最大の東の滝は30m以上の直爆で水煙が立ち上がる。左を巻き上がれば対照的に穏やかな流れになる。ここからは当になめらかな滑となり、皆声をかけ、写真を撮ったりして残り少ない谷の行程を楽しむ。釣り橋が見えてくると遡行終了。シオカラ谷山行に握手。観光客がここまで散策に来ている。河原で一休みして朝来た歩道を登っていく。大台ケ原駐車場手前は原始を感じさせるブナ林になり、森閑としたイオンが体に浸み込んでくるようだ。駐車場で着替え、温泉、そして合同宴会会場に向かった。

実質日帰りの遡行だが満足感は2泊3日の遡行を味わえた。徳野さん、岩本さん感謝。特に徳野さん出迎えいただきお世話になりました。みなさんに感謝。

記 佐藤(Y)

 

参加メンバーの随想録

奈良交歓登山に参加して

初めて奈良交歓登山で奈良に伺う事が出来ました。天理で私達の車をデポし、私達、赤井谷沢隊は赤いデラックスのマイクロバスで登山口まで移動、バスがやっと通れるくらいの林道はヒヤヒヤものでした。赤井谷沢はとても明るくナメ滝がとてもきれいですぐ周りは穏やかな原生林で心地よく、また安心して歩けました。最後の山頂への突き上げも越後では見られない丈、数センチの糸笹の斜面を登り藪こぎなしでした。その後は世界遺産の奧駈道を巡り、山伏と記念写真も撮れました。特に泊まり場では、雨の中、焚き火を囲み伊藤さん達の盛りつけまでもレシピを考えた手料理、内炭さんが釣ったアマゴの塩焼きの美味しかったこと、清岡さんがみんなのファストネームを呼んでくれたこと、そして焚き火を囲んで寝たのは暖かく疲れて濡れていた体には最高でした。合同宴会では、山行を共にした沢隊はじめ岩隊、他で色々サポートしていただいた皆様とお会い出来、楽しい時を持てましたし、奈良の中迫さん,梅屋さんの芸の広さ、深さにはまたまた感激ものでした。最後には高速道まで道案内までして頂き、安心して帰路に着く事が出来ました。

本当に今回の交歓登山には,CLの内炭さんはじめ、計画から準備、実行、そして報告書作成まで関わった奈良山岳会の皆様、ご苦労様でした。有難うございました。2 年後、次回の交歓登山で皆様とお会い出来る事楽しみにしています。

(戸貝記)

 

奈良交歓登山に参加して

参加が一日遅れとなり迷惑をかけました。サマーコレクションに2 ピッチしか登れず残念でなりません。でもシオカラ沢の巨大岩の中をかくれんぼしながらの沢登りができて感激しています。宴会で明け方まで飲んじゃって少し体調をくずしちゃいました。2年後までには整えておきますので、ぜひ大勢で遊びに来て下さい。

(太子記)

 

奈良交歓登山に参加して

本当に赤井谷の沢は美しく感激しました。なめらかな白い岩、どこまでも澄んでいるコバルトブルーの流れ、うす雲のかかっている木立から聞こえる鹿の鳴き声。まったく夢の中にはいりこんだかのようでした。幕営地では焚火を囲み美味しい料理とお酒をいただきながら楽しいひとときを過ごしことができました。集合場ではすばらしい宴会芸と山の話に尽きることがなく山行の疲れも吹き飛んでだいぶ夜更かしをしてしまいました。山の経験が少なく歩きのおぼつかない私なので皆さんに心配も気づかいもいただいたことと思います。今回初めての交歓登山に参加して何よりも嬉しかったことは、奈良山岳会の皆さんとお会いし温かい人柄に触れることができたことです。本当にお世話になりました。そして、ありがとうございました。

(伊藤(S)記)

 

交歓登山を終えて

交歓登山では大変お世話になりました。行動中は楽しさのあまりあっという間に時間が過ぎました。赤井谷へは峡彩から8名が参加、奈良に来られたのが嬉しくてはしゃいでいた私達、うるさかったでしょう?内炭さんは簡単な沢歩きで面白くないのでは、と心配されていましたが、初心者でも大丈夫ということで大勢の参加になりましたし、今回の山行では時間に急かされることなく、すぐそこに鹿が歩いていそうな原生林の中をゆったりと水の感触を楽しみながら歩くことが出来て、気持ちが豊かになったような気がしました。幕営セット、美味しいお料理をみな大きなザックに持ち上げて下さって、おかげ様で夜は焚き火を囲んで至福の時を過ごすことが出来ました。山は沢から離れて尾根に上がるときの景色が新潟と全然違っていて面白かったです。ヤブがない(!)し、釈迦ヶ岳の周辺などはまるで日本庭園のような雰囲気。地面は一面糸笹に覆われ大木が点在し、ちょうどガスが流れ光が射し、素晴らしかったです。下山で歩いた奥駈道は岩場あり、ほら貝のBGMあり、行者さんあり、で2倍も3倍もエンジョイしました。沢メンバー、雨の中アマゴを釣ってくれた内炭さん、後ろを心配そうに振り返りのコースリーダー・岡本さん、全員のファーストネームと生まれ年を暗記していた清岡さん、手料理ありがとうの伊藤さん、ラストにまわってニコニコと見守っていた池田さん、ありがとうございました。そして山中ではご一緒しませんでしたが、もろもろの準備にかかって下さった皆さんにお礼申し上げます。残念だったのは懇親会で会った方々の顔と名前を覚えきれなかったことです。それと、峡彩はもう少し宴会の芸を磨かなくてはいけませんね。

(内山記)

 

2004年大峰赤井谷と奥駈道

70歳初めての(?) 沢登り

ウエー!! お尻濡れちゃったー!! 古いピンクの沢ズボン。半額に値切って買った沢用スパッツ。仲間から借用した渓流シューズとヘルメット。一応沢登りの格好をつけて出発。

大きな石が堆石するゴーロの中を進む。皆には膝少し上の水流でも、身長1.48mの私にはお尻のあたりまできてしまう。また、大きな石に脚があがらず膝をついたり、持ち上げてもらったり、シュリンゲを出してもらったり.....と、谷幅が広いので我が仲間達は少し難度の高いコースを歩きたかったのではないかと思ったが、私の為にわざわざ段差の少ない所、水の浅い所とルートを選択して進んでくれた。そして、ナメ床の所等、私が滑らないように、とても気を使ってくれていた仲間に心より感謝したい!!

奈良の沢隊の方々はさすがにチームワークも素晴らしく、全てにキレが良いと思った。フォーカスト・ビバークでは焚き火を囲み夕朝食共美味しくいただいた。特に朝のお味噌汁は奈良の美味しい野菜がたっぷり入っていたことが印象的でした。

私にもう少しゆとりが有れば、美しいもようの長いナメ床やまわりのブナ林等もっと楽しめたのにと残念に思います。沢では精一杯の私でしたが丈の低い都笹の中を歩く登山道では形の良いシロヤシオやカエデ、ブナ、ダケカンバ等美しい原生林を十分堪能させて頂きました。

感謝の70歳記念沢登りでした。陰で支えて下さった奈良山岳会の皆々様に心から感謝いたします。

(原田記)

 

奈良さんへ

今回も大変お世話になりました。夜行の移動で疲れた体には、赤い観光バスは最高でした。沢は長く続くなめ滝に驚きました。夜、焚火を囲んでの宴会はとてもよかったです。

翌日の奥駆道には歴史を感じました。懇親会はとても賑やかで楽しく過ごさせて頂きました。帰りは、わざわざ高速道まで道案内してもらい無事、新潟に帰ることが出来ました。

それと宮西さん西井さんからの見送りを受け安心しました。それではまた2年後にお会いしましょう。ありがとうございました。

(成海記)

 

新潟・奈良山岳会交歓登山に参加して

奈良での交歓登山(9月18・19日)に初めて参加させていただきました。

設営場所は、奈良の世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参拝道」の一部である大峰奥駈道の山行です。私たちの隊は、沢隊で十津川村滝川・赤井谷遡行、大峰の釈迦が岳へ登頂、奥駈道を辿り前鬼へ下山する計画でした。

初日、前日の天気予報では奈良地方は曇り後雨のでしたが、曇りの天気。当日の集合場所は天理でした。ここから交歓登山のスタートになりました。手配された観光バスに乗り換えて、朝6時に出発する。国道168号線を南下し、滝川登山口まで3時間。今回の沢歩きは、私は二回目で、わくわくのはじまりでした。9時10分に滝川登山口を出発。奈良山岳会、内炭さんをリーダーに、我々新潟8名、奈良5名の13名のパーティーです。赤井谷の沢は、谷幅が広く、巨岩が累々と堆積している。この中を谷渡りで岩を乗り越えて歩く。岩はオレンジ色の茶褐色。沢の水は透き通った水がとめどもなく流れている。沢をパシャパシャ歩くこと5時間、今日のビバーク地に午後2時10分に着く。皆でテントを設営する。設営出来たところで、雨か降ってきた。周りから薪を集め、火をおこすこと1時間。私も団扇で火お越しに参加しました。夕食の準備にかかる。運んできた食材で料理をつくり、沢で釣った「アマゴ」を酒の肴にもてなしていただいた。あたりは薄暗くなり、ブナ林に囲まれた原生林の中で、焚き火をまるく囲んで宴会が始まる。宴会は、奈良・新潟の13名が集い、自己紹介があり、手作りの料理を食べ、飲み、歌い、時間を忘れて交流が深められました。

二日目は、朝、5時半起床、朝食を食べる。野菜の具たっぷりの味噌汁がおいしかった。テントを撤収し、7時に出発をする。雨が上がり、曇った天気だ。沢を渡る森林浴の空気がおいしい。沢を歩くこと2時間、沢を出る。しばらく藪を登り、休憩をとり、大峰の釈迦ケ岳山頂へ登る。記念写真を撮り、下山する。下りは奥駈道を辿り、前鬼へ下山しました。

今回、奈良の赤井谷遡行沢歩き二日間は、スケジュウルどおり進められ、赤井谷の自然と奈良の皆さんと交流し、楽しませていただきました。沢が技術的にはまだまだの私ですが、皆さんのご指導で何とか歩ききれました。奈良山岳会の皆様の設営と運営にこころ温まるもてなしに感謝いたします。本当に有難うございました。

(野村記)

 

奈良交歓登山に参加して

昨年繰り延べさせていただいたにもかかわらず、奈良山岳会のみなさんからとてもあたたかく迎え入れていただきました。わくわくするような谷と互いの友情に感動と感謝の念を感じています。特に私のわがままで初日を個人的な所用(奈良市での日本鳥学会報告参加)に費やしながらも、その後合流に向けた細やかな対応に感謝申し上げます。

峡彩ではただ一人という大台ケ原シオカラ谷を徳野さん、岩本さんから案内いただきました。

シオカラ谷はかなりスケールの大きな谷で累々とした巨岩と豊富な水量、両岸は切り立つ岩壁で成り立っています。なんとも身軽なお二人に遅れちゃならんと一生懸命でしたが、トレーニング不足の体には少々きつく感じました。飯豊の沢でいうと中流~上部で雰囲気ですが、取り付くことも捲くこともままならない飯豊と違いなんとかかんとか、登れてしまえ不思議な感覚になりました。途中、条件の優れなかったサマーコレクション岩組と合流し終了点まで楽しく遡行することができました。運動靴ながら福本会長の確かな足取り、ゴルジュ滝に果敢にチャレンジした楡井会長が印象に残ります。詰めでは豪快な直爆に続き穏やかなナメを味あわせてくれ、なんとも素敵なコースでした。

最終日前夜の合同宴会の楽しさは言うまでもありません。寝不足がたたり深夜以前に寝込んでしまいましたが、久しぶりに腹を抱えながらのお酒はとても美味しいものでした。

福本会長はじめ奈良山岳会のみなさんほんとうにありがとうございました。初めての奈良はとてもよい思い出になりました。計画段階からやりとりしていただいたCLの内炭さんご苦労様でした。ありがとうございました。

(佐藤(Y))

 

28回目の出会いと交流

今回もまた懐かしい顔ぶれに出会うことが出来た。そしてまた新しい人との交流も始まった。

昭和41年7月の大峰山系山上ヶ岳から始まった「新潟峡彩・奈良山岳会合同登山」も今年で第28回目を迎えたことになる。この間38年間にわたり両会の交流が続けられたことは驚嘆であり、積み重なった歴史の重さを感じずにはいられない。

この間の歴史をひもといてみると、38年間で28回と云うことは、途中開催されていない年のあることが分かる(平成3年からは2年に一度に変更されていることもあるが)。それらの原因としては、それぞれの会の招かざる事故発生によって延期が3回、台風等の自然災害によっての延期が2回、そしてこれは奈良だけであるが国体、全日の開催による延期が2回と計7回にも及んでいることは28回の中にそれぞれの歩んできた歴史が凝縮されていることがうかがえ興味深い。

しかし継続することだけに大きな意味はない。

参加する側にとっても迎える側にとっても、そこには何らかの意味があり価値があるものでないと、38年も続けられないような気がする。その価値とは、意味とは何であろうか。私は、究極のところ人が原初の時代から持ち続けている「人をもてなすことの心地よさ」と「違ったものと触れ合うことによる自分発見」で無いかと思う。だから、行く山は同じであっても行くたびに得られる感動が違い、得られる発見に思いを馳せて交歓会が続けられているのではなかろうか。

今回の短い山行のなかで、雨中のたき火の技術に奈良が納得と感得をし、同人に近い奈良のスタイルに峡彩の皆さんが驚かれたように、異質のものとのふれ合いが新しい形を発見し、自分たちの姿を見直すきっかけともなる。技術を学び、地域を知り、考え方を知ることこそ最も先鋭的な場であるような気がする。

新潟での強烈な感動を奈良でも再現したいと、受け入れに奔走した奈良の仲間の想いもまた当然の、「人」としての感情であろう。

そうした共通のワードが「交流」であり、交流は「かつての人」と「新しい人」が混在していなければ交流とはならない。そうした意味で今回は井出さんなど多くの交歓会を作ってこられた皆さんとの出会いとそして始めての人たちとの(奈良側でも同じ)出会いがあったことに私は、とても感慨深かいものがあり、今度は自分も行かねばならぬと密かに誓ったりもしていた。押しつけても長続きはしない、でも新しい何かが得られると続いていくものである。

でもそのためには、体験した人、経験した人はこの気持ちを、想いを次に語り続けて行くことだけはして欲しいと思う今回の交歓会でした。訪れて頂いた新潟の皆さん、お気遣いを頂きほんとに有り難うございました。

(奈良山岳会 梅屋記)