カナダ紀行 憧れの鋭鋒Mt.Assiniboine登頂

2003年7月5日から11日

大江

はじめに

2002年9月のカナディアンロッキーハイキングから帰国して、アッシニボインへの気持ちは益々募る一方。とにかく、どうしたら登れるか。帰国してからと言うもの、古い”岳人”を引っ張り出したり、インターネットでMt.アッシニボインに関する情報を出来る限りあさった。

相方探しは、会の内外をあたるものの、折り合いが付かず。単独登攀も考えたが成功率を上げたいこともあり、やむを得ず現地キャンモアのヤムナスカ社(以後、YAM)にガイドを依頼することにした。

話しは前後するが、YAMのガイドでアッシニボインに登頂する場合、資格テストがある。

要するに、アルパインスタイルの技術レベルがどの程度あるか?定かでないときは、キャンモア近隣の岩場でテストを受けることになる。(岳人Y1999 No.624 P61&Y2002 No.666 P75参照)

かくして、私の“旅”は始まった。

前 章

7月5日(土)、エアカナダ AC4便は予定時刻どおり、成田を離陸。バンクーバーにもほぼ予定時刻どおり到着。ここで、カルガリーへ向けて国内便に乗り換える。

“SARS”のお陰で昨年にはなかったチェックを簡単に受けるが、日本人の入国者は問題なく通過できる。

15:05、カルガリー空港に到着。

いつの間にか降り始めた雨の中、バス(ワゴンタイプ)は世界一長い、高速1号線を西北西、アルバータ州キャンモアへと向う。

右方向にカナディアンロッキーの入り口、ヤムナスカ(別名Mt.Laurie、2240m)の岸壁が見えてきたら、もうすぐキャンモアである。

キャンモアでの宿、ドレイクインで車を降りると、強烈な乾燥のためか、雨が降らなかったのか、すっかりいつものように乾ききってた。

チェックインを済ませ部屋にはいると、直ぐにYAMへ“到着”の連絡を入れる。ドレイクインのレストランで夕食をとった後、部屋でシャワーを浴びて飲み直しながら、部屋の窓から外を見ると、キャンモアのシンボル、スリーシスターズがスッキリ望める。

21:30、外はまだ全く明るいが、翌日からのスケジュールを考え、早めにベッドに入る。

7月6日(日)、7:00に目が覚める。時差ボケはない。身支度をしてレストランで朝食をとり、YAMの迎えを待つ。9:00少し前にYAMの迎えは来てくれた。

チェックアウトを済ませ、車で5分もしないでYAMに到着した。

ここでガイドのマイクと面会。Eメールでお互いのある程度の情報は知っているので、簡単な挨拶だけすると、食料や装備の点検をする。とにかく、お互いが何を持っているのか、全て出させられた。そしてギヤ類を含め、余計な装備を一切省き軽量化する。それにしても2人の4日分とはいえ、食料の多さに驚いた。しかし、それを殆ど食べ上げてさらに驚くやら、呆れるやら。

一通り荷物のチェックを終えると、それぞれ荷分けをしてパッキングし、10:00にキャンプツアーの客とバスでMt.シェークのヘリポートに向けてYAMを後にする。

ヘリポートに着くと、アッシニボインロッヂのスタッフから乗り込むときの注意を受ける。

待つこと45分、予定どおり12:00にヘリはやってきた。帰り足の客が降りると、素早く我々が乗り込む。

ヘリはカナディアンロッキーの谷間を縫いながら、レイクメゴックのレイクサイドにある、アッシニボインロッヂへと向かう。

大きな山陰を抜けると、さんざん写真で記憶にこびりついたMt.アッシニボインが目の前に飛び込んできた。感動のご対面である。

ヘリはわずか10分ほどで、アッシニボインロッヂのヘリポートに着陸した。

この日はアッシニボインを登るためのベース。ヒンド・ハット(カナダ・アルパインクラブ所有の無人小屋、約2780m)まで約3時間の登りを含む移動。アッシニボインロッヂの前をとおり抜け、常にアッシニボインを仰ぎ見ながら、レイクメゴックトレイルを約1時間ハイキングする。

ロッヂのほぼ対岸。ルンゼ状の氷河雪渓を、取り付きからヒンド・ハットまで、高低差約600mの最初の登りである。相互に装備を着け、ガイドのマイクがリード&ビレイのタイトビレイで登攀を開始する。

15:15、ルンゼを抜け視界が明けると、アッシニボインは見上げなければならなくなる。いよいよアッシニボインの懐に入ったことを実感する。

その威風はまさにカナディアンロッキーを代表する鋭鋒の名に恥じないだろう。

ヒンドハットに入る前に、取り付き点までのルートを確認しておく。この日ここ2800m付近にいたってまだ気温は10℃を越え、氷河上の雪も腐れ雪である。

マイクは「翌朝もこんな状態なら、登れないけど、天候状態も良さそうなので、きっと凍ってくれるだろう」と、期待が膨らむ。

16:15、ヒンドハットに到着。我々の他に利用者はなく、ヘリの運行日からもこの4日間は貸し切り状態になる事は察せられた。外観は二王子避難小屋によく似ているが、外壁は厚く断熱がしっかりしていて、事実締め切っていると暑くてたまらない。中は正面が2段ベッドで分厚いウレタンが敷いてある。10人は寝ることができそう。手前は大きなテーブルが1つ、流し台、LPGのガスコンロ、食器が揃っていて、水は氷河の流水を利用する。

この日の夕食はポークソテーに野菜炒め、アルファ米の五目ご飯にスープと、結構気を遣ってもらった。

21:00を過ぎて、まだ外は明るいが、翌朝早いのでシュラフにもぐる。

 本 章

7月7日(月)、熟睡感のないまま3:00に起床。朝食と言うには早いがMADE IN TORONTOの「サッポロ一番みそラーメン」をすすり、3:50小屋を出発。天気は良好、雪も程良くクラストしている。

昨日下見した時の足跡を辿り、北稜の取り付きからタイトビレイで登攀開始。

ここから北壁中央部の北稜の肩に向けルートをとる。北稜の肩、東側下の細いルンゼではアイススクリューをねじ込みビレイポイントを取り、マイクがリードする。

北稜の肩のテラスで日の出を迎え、ピザ生地のような丸くて歯ごたえのあるパンにチーズとソーセージをサンドイッチにし、それぞれ行動食を摂る。

ここからレッドバンド中央のルンゼをめざす。雪壁でのビレイはアックスをスノーバー代わりにする。

レッドバンド中央の細いアイスのルンゼ(岳人No.629日本山岳会東海支部、田辺氏の記事どおり)では、ナッツでビレイポイントを作る。ルンゼの中には残置のアイススクリューがあり、これにランニングビレイをとる。

さらに2ピッチ登ったところで、リードしていたマイクから「クライムダウン」と、声がかかった。「あぁ、止めちまうのか」と、思って降りてくるのを待っていると「雪が砂糖のようにもろくて、このまま北壁ルートをグレイバンドまで登れないので、北稜にルートを変える」と言う。まずは一安心。

とりあえず登ったルートを、レッドバンドの下までビレイしながらクライムダウンし、北稜まで慎重にキックステップでトラバースする。

北稜のレッドバンドからは、?級前後のミックスになる。

所々、残置のテープスリングがあり、これらをビレイポイントに、まずは3ピッチ(※軽量化でロープ長が34m×10.5mmなのでピッチが細かくなる)。北稜ではこれらの残置を除けば、ナッツやフレンズによるナチュラルプロテクションが、基本になる。

レッドバンドを越えたころから、西風にさらされて右の頬がピリピリしてきた。

グレイバンドを越えると、雪氷の隙間から足下の透けて見えるような痩せ尾根で、スッパリ切れた東壁が覗ける。

さらに2ピッチで岩場を抜け、数分トラバース気味に登った雪尻の元がサミットがある。

11:15、山頂到着。マイクと握手を交わし、短い会話だけですぐ下山に移る。

慎重に痩せ尾根を下り、グレイバンドの上の安定した場所で下界を展望しながら、行動食をとる。

東壁の麓にはコバルトブルーのレイクグロリア。北稜の延長線、その先には前日歩いてきたレイクメゴックが一望できる。クライムダウンと懸垂でとりあえず北稜の肩まで下り、ここで再度一息。肩の西下までは残置支点から2ピッチ懸垂し、ここでロープ解除。北稜取り付きまでは、ガレ場をトラバースする。取り付きからは、マイクはグリセードで、私は尻ゾリでコルまで快調に下る。既にハーネスを外しているので、面白いように滑る。

17:00、無事ヒンドハットに到着。

終 章

疲労困憊の我ら二人は、とりあえず言葉もなく心地よい疲労に身をゆだね、少し横になる。

しばらくして、夕食の準備にかかる。ポテトとソーセージのクリーム煮とスープに僅かなウイスキーで祝杯をあげ休む。

このクライミングを振り返って、グレード的にはMAX?級+と言ったところか。タイトビレイを結んでいたところは、ガイドとクライアントの関係が故で、基本的にロープ無しでOKであろう。

最初から単独でも出来そうだとは思っていたが、無事に帰らなければならなかったし、相方とタイミングが合わなかった以上、ガイドと組むしかなかった。まぁ、条件が良く、登れたわけだし、結果オーライと確信している。

7月8日(火)、昨夜はさすがに寝付きが良く、マイクもよく眠れた様子だった。

無事登頂を成し遂げ、予備日のこの日、朝食の後小屋の中にあった”CLIMBING GAME”をしたり、お茶を楽しむ。その後。裏山へ出かけたのは13:00を過ぎていた。

山頂で風景を楽しんでいると、西の空からだんだん雲行きが怪しくなってた。重苦しい雲はやがて雷鳴を轟かせ始め、そう遠くない目線で光り始めてきた。マイクと私は氷河の雪の上を転がるように、ヒンドハットを目掛けて駆け込む。

小屋の周りで写真を撮ったり、スケッチをしていると、やがて雨は雪に変わってきた。

マイクは、刑事物の本を読んでいる。

夕食の後、再び”CLIMBING GAME”を楽しみ、今度は私が勝たせてもった。

7月9日(水)、4:50に目が覚めた。充分睡眠がとれ、クライミングの疲れも回復して、気分も良い。

最終日の朝食はコーヒーとオートミール。

4日間お世話になったヒンドハットの中を二人で片づけ、7:00に小屋を後にする。

見上げるとアッシニボインは悠然と私たちを見下ろしている。

何とも去りがたい気持ちでいっぱいであった。

コルからルンゼの下りは、再びタイトビレイでクライムダウンする。

湖畔から、アッシニボインロッヂまでは、のんびりハイキング。それでも9:15、ロッヂに余裕で到着した。

ロッヂのスタッフとYAMのスタッフは、お互い知りあいのようで、マイクがロッヂの男性スタッフと何やら親しそうに話してる。すると、そのスタッフが私の処へ来て、登頂成功の祝福をしてくれ「記念に」と、アッシニボインロッヂのオリジナルTシャツを頂いた上に、女主人からも厨房に案内され、ブルーベリーのタルトとミックスフルーツ、コーヒーを頂き、大変美味しく頂いた。(無論チップは渡しました)

我々が乗るヘリはこの日の最終便で、キャンモアまでのダイレクトフライトである。

パイロットはマイクの友達で、マイクが冬にへリスキーのガイドをするときの相棒とのこと。

ヘリは離陸すると、眼下にレイクメゴックバレイが広がり、そしてアッシニボインの見納めである。キャンモアからアッシニボインは望むことは出来ない。

キャンモアへ向かうヘリの中、マイクが間近に迫った岩を指さし、自分が登ったことがあることを教えてくれた。そしてパイロットの彼もすばらしいクライマーだと話してくれた。

7月10日(木) ロッキーマウンテンスカイシャトルのバスは7:25に、ドレイクインの前へ到着。カルガリー空港へと来た道を南下する。

夢を果たした思いと、去りがたい思いが複雑に入り交じった気持ちで、カナディアンロッキーを後にした。

山岳帯を抜けた頃、高速1号線の脇で一頭のエルクを見かけた。この一頭が今回の旅で見た最初で最後のエルクであった。

バンクーバーへ向かう飛行機の窓から、カナディアンロッキーが手に取るように見ることが出来る。地層が天に向かって突き上げている様子がよく解る。

今、ひとつの夢が叶い、感動できたのか、満足できたのか、やり残しを感じたのか、旅行中はもちろん、帰国後も暫く自分の気持ちが整理することが出来なかった。

しかし、あれから数ヶ月が過ぎ、今こうして回顧しながら文章を作っていると、いつでもフラッと行けそうな気がしてくる。(そんな資金は無いが・・・)

PS このクライミングの成功は「目標のある人には協力をおしまないですよ」と言って、私のレベルアップに全面的に協力して、付き合ってくれたブンちゃんこと、故本間(F)氏の協力無くして成り立たなかった。

そのブンちゃんは「宿題を片付けてくる」と、私と入れ替わり7月末スイスへ、そこでの事故で短い天命の幕を閉じた。

“I will offer up this climbing to him and may his soul rest in peace. “